駅からハイキング 蒲田駅→羽田空港第3ターミナル駅 穴守稲荷の歴史が壮絶②

現在の穴守稲荷神社の南側一帯は羽田村と呼ばれ、昔からの町がありました。その町と東海道を結ぶ街道があり、羽田道と呼ばれていたようです。

羽田道について秀逸なブログを見つけました↓

穴守稲荷神社には、世界的な航空会社の幟が掲げられていました。まぁ、羽田空港が近いからでしょといった軽い話しではないのです。

かつての穴守稲荷神社は、地図の緑丸の一つ、現在の羽田空港の敷地内に位置していました。
穴守稲荷神社をハブとして東京郊外の一大行楽地として賑わうようになったのですが、敗戦によって神社敷地を含む一帯がGHQによって強制接収されてしまうという、信仰における屈辱を味わいます。
そこから関係者の執念により、穴守稲荷を今の場所に復活させたのです。

羽田浦の開墾(1815年くらい)
風浪の害
一祠を勧請
穴守稲荷神社

  • ↑聖の確立

鉱泉発掘(1896年)
参詣鉄道(1902年)
羽田運動場(1909年)
海水浴場(1911年)
日本飛行機製作所(1916年)
東京飛行場(1931年)
羽田競馬場(1932年)

  • ↑聖と俗の行楽地を確立、飛行機

羽田競馬場廃場(1938年)
海水浴場営業中止(1942年)
城南京浜大空襲(1945年4月)
敗戦(1945年8月)
(当初は12時間で結局は)48時間以内の強制退去(1945年9月)←これが鬼
御霊を羽田神社に仮遷座(1945年9月)

  • ↑戦争の影

復興再建開始(1946年)
羽田神社よりご神体を御遷宮(1948年2月)

なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる

どなたが(どのような神様が)いらっしゃるのかはわかりませんが、ただもうありがたくて、涙ががあふれてしまう。

  • ↑執念の復活

ここも、ビルに囲まれてます。
穴守稲荷神社にこんな壮絶な歴史があるとはつゆ知らず、神社をあとにします。

モノレールが地下に潜るところとなると、あの看板ではないか!ということで、コースから少し逸れるとありました!いつもモノレールのガラス越しだったのですが、リアルは初めてです。#ポンジュース

モノレールと看板の位置関係は↓です。

駅からハイキングのコースになければ、決して訪れることのなかった駅です。ジェットエンジンを模しているらしい。出入り口が噴射口になりそう。気をつけろ!

複合施設である羽田イノベーションセンターの屋上にある足湯。飛行機好きには堪らないのではないか。
一方、ここから見える景色の中に、かつての穴守稲荷神社のあった場所が含まれているとすれば、ある意味、平和を感じることのできる場所なのかもしれない。

羽田空港第3ターミナルと直結している羽田エアポートガーデンをかするモノレール。

羽田イノベーションセンター、羽田エアポートガーデンともに、かつての穴守稲荷神社一帯の繁栄を再現したものではないかと思います。