北九州若松は腐敗ではなく発酵していた(プラス印象) その②

砂丘の北縁に位置する、若松恵比須神社熊襲平定に向かった神功皇后が洞海(くきのうみ)で光る石を引き上げ、御神体として航海の安全を祈願したのが鎮座の由来です。南東に向かう道が参道だったのではないかと思う。

古河鉱業若松ビル。大正8年の建築物。昭和19年まで、古河鉱業の事業所として使われていた。今は、コミュニティーホールとして使われています。

2階の塔屋がある多目的ホールAの様子。リニューアルされてます。

石炭荷役をする沖仲仕(おきなかし)を運ぶ伝馬船の船着場の跡です。目の前にある厳島神社に弁財天が祀られていることから、弁財天上陸場との名が付いた。

目の前の厳島神社

石炭会館。若松石炭商同組合の事務所として明治38年に建設された。

外観からは想像できない内装。吹き抜けの天井には、オシャンティな装飾が施されてました。テナントビルとして使われているようです。

上野ビル(旧三菱合資会社)です。

出入船舶見張り所跡。船舶の入港料を徴収ことを目的に、港を監視するために使用されていたらしい。

海岸沿いに歩きます。