北九州若松は腐敗ではなく発酵していた(プラス印象) その③

1890年に、洞海(どうかい)湾の開発を目的として設立された若松築港会社(現:若築建設株式会社)の社屋に設けられた「わかちく史料館」を見学。かなり見応えがあります。まぁ、北九州の企業は、麻生の息が掛かったところが殆どですが。

江戸・明治中期までは、遠賀(おんが)川河口の芦屋までの水運が石炭輸送を担っていました。そこで使われていた舟の「川ひらた」が展示されてました。

石炭産業を支えた洞海湾に沿った帯状の地域をバンドと呼んでいるようです。

若松を満喫したので、若戸渡船に乗って、対岸の戸畑区に向かいます。

遠くに(多分)製鉄所が見えます。

戸畑側に着きました。この時はアジア系外国人が集団で乗り込んでました。

古河鉱業若松ビルが見えます。ルートインの方が目立つ😅塔屋が目立つ方向は西なので、この建物は西から来る人にアピールするよう設計されたと思われます。

戸畑側には橋の袂に漁港があるようで、沢山の漁船が停泊していました。

戸畑の商店街の路地裏がいい感じでした。

JRで小倉駅へ向かいます。小倉駅のホームで、かしわうどんを頂きました。これ、本当に美味しいんよ。

小倉駅からミクスタに行く道中から見える製鉄所。格好良い。

ミクスタからは、遠く門司の街を臨むことができました。門司の街はリビルドの街、若松の街は発酵の街と思いました。

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ブラタモリ(2023/10/14)
・洋館付加住宅
・鉱滓(こうさい)れんが

やはり、目の付け所がシャープ