青林堂製菓 繭最中


山梨県中央市(旧豊富町)の和菓子屋さん、青林堂製菓の繭最中を頂きました。
繭(蚕)を特産品としている市町村って多そうです。
和菓子のモチーフとしても2件目です。
↓これ一件目(松姫の桑の葉饅頭)
松姫 桑の葉饅頭 - 北海道改め埼玉の備忘録


見かけはこんな感じ。
繭を意識していると思われます。


いつものようにぶった切ってみた。
最中をぶった切るのは難しいです。


薄めの皮に餡が入っています。
比較的大きな粒も見られます。


一口頂いてみた。
最中の皮は崩れやすく、餡は少し甘めです。
原型に近い小豆が入っていて、「豆」の食感を味わうことが出来ます。
お茶が欲しくなります。


包装はこんな感じ。

「浅利与一とシルクの里」とありますが浅利与一について調べてみた。

(本名は浅利義遠
浅利義遠(あさり よしとお)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。源清光の十一男。
もともと浅利氏は甲斐源氏の一員で、甲斐国八代郡浅利郷を本拠とした。兄の武田信義安田義定らとともに源頼朝の幕下に参加する。弓の名手であり、壇ノ浦の戦い奥州合戦においてもその強弓をもって戦功を立てた。

建仁元年(1201年)、建仁の乱において捕虜となった坂額御前の堂々たる振る舞いに深く感銘を受け、時の将軍・源頼家に彼女を妻として迎えたい旨を申し出る。何故謀反の徒を妻に望むのか、という頼家の問いかけに対し、「彼女との間に武勇に秀でた男子を儲けて、幕府や朝廷に忠義を尽くさせたい」と答えたため、頼家は笑ってこれを許可したという。

山梨県中央市(旧東八代郡富村大鳥居)には義遠が帰依したといわれる大福寺があり、県指定文化財の義遠の位牌や墓所がある。
ウィキペディアより)

よくみると、和菓子屋の住所も「浅利」という地名でした。