駅からハイキング 小机駅(JR)→大倉山駅(東急)その②

太尾南公園は、水再生センターの上部を利用した公園です。4階の屋上にある感じです。ドラえもんでみた土管がある〜。

人工せせらぎ池にサギがいました。

和菓子屋さん(大倉山 青柳)に寄ったため、ルートを変更して大倉山駅から大倉山公園に向かうこととした。駅周辺は、大倉山記念館に合わせた地中海のコンセプトで統一されてました。

丘の上にある大倉山記念館は唯一無二の建築物でした。

実業家で後に東洋大学学長を務めた大倉邦彦(1882-1971)により昭和7年(1932)「大倉精神文化研究所」の本館として創建されました。
昭和56年(1981)横浜市が寄贈を受け、大改修のうえ建物の保存を図るとともに、昭和59年(1984横浜市大倉山記念館として生まれ変わり、平成3年(1991)には横浜市指定有形文化財に指定されました。

大倉山記念館のホームページ

公園内にある梅林の梅はちょうど見頃でした。谷間に造られた小ぢんまりした梅林ですが、感じの良いところですね。梅の花の蜜を吸うメジロを始めて見ました。

最後の訪問先は、師岡熊野神社です。社紋が三足烏であることから、サッカー神社としても知られるようになってます。八咫烏の咫とは、「あた」と読み、日本や中国で用いられていた身体尺とのこと。目安としては、「手のひらの下端から中指の先まで」。


門前に弁財天を祀る「い」の池、裏山に神事に使う「の」の池があり、現在は埋められ大曽根第二公園となった「ち」の池と合わせて「いのち」の池と呼ばれていた。この内「い」の池は横浜市登録地域文化財(史跡)に登録されている。

「の」の池。多分、湧き水系。

「い」の池。人工の溜池らしい。

いつもの如く立ち寄った場所の振り返りのために地図を作成したのだが、大倉山地区の一部が後背低地・湿地になっていることに驚いた。自然堤防がガードするように見えますが標高をみると日産スタジアムの場所と同じくらい😵地名に「山」が付くから、その場所が「水」とは無縁と考えるのは危険ですね。


水害が多かった大倉山地区は、東横線沿線の中では最も開発が遅れた地域の1つでした。しかし、昭和53年(1978年)に区役所総合庁舎が菊名から現在地(大豆戸町26-1)に移転したことから、大倉山駅がその最寄り駅となりました。

第185回 大倉山地区 -地域の成り立ち、その1-