ブラウブリッツ秋田 新屋地区

秋田市内から雄物川を渡ったところにある新屋地区。かつては、水運、街道、湧水で賑わったところです。

f:id:imawac:20220409212855p:plain

新屋地区は海岸砂丘のキワに沿って成立しています。キワなので砂丘に染み込んだ水が湧き出るのでしょう。

湧水が案内されてますが、飲まない方が良いらしい。
f:id:imawac:20220409213536j:plain

水を利用して、日本酒や醤油を造る蔵が多くあったようです。
f:id:imawac:20220409213549j:plain

一方、その砂に長年悩まされていたようです。

地獄の飛砂から田畑や人家を護る昔から当地の人々は松等の植林を行い飛砂を防いできたが、栗田定之丞等は江戸時代末期から明治時代にかけ、約20年にわたって黒松の植林等砂防事業を実施して、秋田県砂丘地帯の防災対策を行ったことは有名です。

雄物川は、新屋地区の北で大きく蛇行していたのですが、洪水対策と河口港湾の整備のため放水路掘削工事が行われました。新潟市信濃川と同じですね。

雄物川放水路事業】
 雄物川放水路事業は資産の集積する秋田市の洪水防御と河口港の港湾利用の高度化を図るため、大正6年から当初は工期10ヶ年の計画で着工されました。第1次世界大戦後の物価高騰や国家財政の悪化等があったものの、着工から22年を経て昭和13年4月、現在の河口から日本海へ通水し、放水路が完成しました。伏せて旧川との分流点に新屋水門を設置しました。
 雄物川放水路の整備によって秋田市周辺の浸水被害が大幅に減少し、秋田市を中心に人口が増加、市街地が発展していきました。また、旧雄物川河口部に位置する秋田港を中心として臨海工業地帯の発展等、地域社会・経済発展に大きく貢献しました。

旧街道の現在の様子。まぁ、寂れてしまってます。
f:id:imawac:20220409215405j:plain

蕎麦屋で蕎麦を頂きました。蕎麦の味は良く分かりませんが、美味しいのではないかと思います。
f:id:imawac:20220409215717j:plain

秋田公立美術大学内にある旧国立農業倉庫です。倉庫棟は昭和9年に建設されました。かつては、鉄道の線路が倉庫前まで引かれていて、今は廃線跡が遊歩道として整備されています。
f:id:imawac:20220409215426j:plain