SC相模原 氷川神社

SC相模原が戦勝祈願を行うのは、氷川神社です。

相模原は城下町でも宿場町でもなく、江戸時代後期の開墾地であり、お世辞にも歴史がある街とは言えないと思います。それでも氷川神社は、開発初期から入植者の心の拠り所になっていたとのことです。

当地は天保14年(1843)代官 江川太郎左衛門の許可により、小山村の原清兵衛光保によって新たに開発された開墾地です。同年6月17日武蔵国南多摩郡上櫟田村(現在の八王子市)の村社氷川神社より御分霊をいただき、入植者の心のより所とされていました。当初は『いづなさま』とも呼ばれ2坪程の小さな祠に祀られていたそうです。

相模原駅から西に向かうとバス停の名前が「清新(せいしん)」です。開墾地の「清兵衛新田」からきていると思います。かつての中心地だったのでしょう。

三叉路を左折すると氷川神社があります。思ったよりこじんまりしてます。
地図をみると相模原の街区は駅を起点として計画されているようですが、不自然な三叉路は、氷川神社を意識したように見えます。やはり、ランドマークたるものだったのでしょう。

開墾記念碑。徳川慶喜が書いたらしい。

日常に溶け込んだ穏やかな神社でした。

もちろん、いつものように我が軍の勝利を祈ってきました✌️

#相模原