しらじらと 氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の 冬の月かな

1908年(明治41年)、石川啄木は22歳の時、76日間という短期間ですが釧路に住んでいたことがあります。この地でいくつかの詩を残しています。
繊細な人といったイメージがあったのですが、そうでもなさそうです。
釧路時代の石川啄木とは - 北の心の開拓記 [小松正明ブログ]
釧路市としては、啄木をメインにした観光を目論んでいます。
石川啄木の像

↓港文館(石川啄木が勤めた釧路新聞社を復元したもの)


夏目漱石は、1895年(明治28年)から約1年間、松山に赴任していました。「松山→坊ちゃん→夏目漱石」という繋がりがあるのですが、「釧路→・・・→石川啄木」という繋がりは弱いと思われます。松山の場合、正岡子規という人物の存在も大きかったのではないかと思います。
明治40年代の釧路の市街地はこんな感じだったようです。

今の地図はこんな感じ。釧路川の右岸側は広く埋め立てられていることが分かります。地震がきたら液状化がひどそう・・・。

当時の倉庫が現存しているようです。