釧路 旧市街

釧路発祥の地をぐるり歩いてきました。
釧路発祥の地は、現地名で「米町(よねまち)」という地域になるそうです。

↑釧路にはJRの他に線路があります。太平洋石炭販売輸送臨港線です。この線路が米町のキワを通っています。

↑線路の行き着く先は、「知人(しりとちょう)」の貯炭場です。

↑釧路崎灯台です。この灯台で霧を感知すると釧路港口の赤い灯台に設置された2台の霧信号機から霧笛が自動的に発せられる仕組になっていたそうです。

↑米町は高台にあるため、海岸付近まで降りるのに、このような階段を下りました。

↑先ほどの線路の終点です。ここで石炭が下ろされるようです。

↑佐野碑園です。釧路を開くにあたり功績のあった四代目佐野孫右衛門(1841-1889)を顕彰した碑が立っています。江戸時代末期に漁業と交易を勧める「久寿里会所」があり、明治時代にはこの付近に釧路発の学校「丸太学校」や「電信分局」が建てられたそうです。また、石川啄木がよく訪れた料亭「喜望楼」も付近にあったようです。