
街中から少し外れたところにあるが、南蛮BVNGO交流館なるところに行ってみることとした。

交流館があるのは発掘調査で明らかになった「大友氏館跡」の敷地です。今の大分市の東南側、大分川の左岸に沿ったところが、かつての中心地(府内)だったようです。
↑の地図では大友氏館跡は黄色(砂洲・砂丘)に位置しています。
交流館は、大友宗麟推しでした。
大分市/南蛮BVNGO交流館

そこからさらに南にある、大分元町石仏の彫られた上野丘台地の東の崖は、そこ以外コンクリートで固められていて、薬師如来坐像は建屋で保護されてました。平安時代に彫られたものであれば、そうなるかという感じです。
磨崖仏が大分に多くみられるハード面の理由として、阿蘇の大噴火によって厚く積もった火山灰の地層があることが挙げられる。キャンバスの存在大事。


さらに南下すると岩屋寺石仏があります。正直、概ね削れてしまって、よく分かりません。

台地の上にある上原館(うえのはるやかた)跡。大分川左岸の館とは別の大友氏の館跡です。

金剛宝戒寺。国の重要文化財に指定された大日如来があるはずの建物の覗き窓からは、見ること叶わず。

豊後国の国府は、上野丘の南にあったと考えられていて、古国府(ふるごう)というJRの駅名がそれを匂わせています。
今回は北に向かいます。坂道を下ると大分駅は近いです。

大分駅前の広場には仮設のステージが建てられ、地元テレビ局のイベントが行われていました。

大分の街を巡り終え、別府に向かいます。駅近の浜脇温泉(東町温泉)を狙って、東別府駅で下車。
駅舎は明治44(1911)年に建てられた、別府市の有形文化財に指定されている大分県内で最も古い駅舎だそうだ。
