山小屋妄想(2)地蔵ヶ岳 鳳凰小屋

鳳凰小屋は鳳凰三山の一つ、地蔵ヶ岳の直下にあり、急流で知られるドンドコ沢の最上流部(標高2,380m付近)に位置します。

フォッサマグナ上にある青木鉱泉が登山道の起点となっています。

そんな沢沿いに建つ鳳凰小屋、何故、そこにある?

まず、平らなところかチェック。
2,300~2,400mにかけて傾斜の緩やかな場所となっており、鳳凰小屋はその西端に位置します。

次に、水。
いうまでもなく、ドンドコ沢の水が利用できますし、沢状の地形なので容易に手に入れることができると思われます。

心配なのが、土石流。
鳳凰三山花崗岩でできていることもあり、地質が非常に弱いことが特徴のようです。

また、令和元年10月11~12日にかけて、日本を襲った台風により、小屋前で大きな土石流が発生したことが小屋のブログに書かれていました。
鳳凰小屋ブログより引用(ここから)
10月12日
10時45分:沢が増水し始める(沢の水が黒く濁る、倒木による木の香りが漂ってくる)
14時30分~17時:轟音とともに巨大な岩が流れてくる
(ここまで)

この時の降水量を調べてみました。
★令和元年(2009年)10月11~12日の降水量
甲府:193mm
諏訪:77mm
飯田:52.5mm

大きな被害を受けたのは半世紀ぶりとの記載もみつけましたので、調べてみました。

★昭和34年(1959年)8月14日(7号台風:富士川河口から上越市付近を通過)
昭和34年(1959年)8月12~14日の降水量
甲府:194.7mm
諏訪:145.8mm
飯田:150.9mm

★昭和57年(1982年)8月1~2日(台風:渥美半島から富山湾付近を通過)
昭和57年(1982年)8月1~3日の降水量
甲府:211mm
諏訪:123mm
飯田:126.5mm

恐らく、昭和34年の被害のことを言っているのでしょう。

小屋の淘汰
最初に書いたように、2,300m付近から河原のような平らな場所になります。
小屋がありそうな雰囲気なのですが、結局、そこは通過して、かなり奥まった鳳凰小屋まで歩いた記憶があります。

話は変わって、鳳凰三山を縦走して夜叉神峠に抜ける途中に、南御室小屋があります。
調べていくうちに、別の場所にある「御室」なる地名に建っていた小屋と区別するために「南」を頭につけたらしいことが分かりました。

その「北御室小屋」が実は、2,300m付近からの河原のような場所にあったようなのです。
地図で示すとこんな感じ。鳳凰小屋から10分程度離れた所にあったらしいので、もっと上流かもしれません。当時の鳳凰小屋は荒れていたらしいです。。。

昭和15年(1940年)の地図には載っているようなのですが、洪水により流されてしまったようです。流された年はもしかすると昭和34年かもしれません。